富士市は、富士山の南麓から富士川東岸の平野部にかけて開けた町で、南は駿河湾に面しています。百人一首にも詠まれている景勝地・田子の浦は、いまでは製紙工場の煙突が立ち並ぶ工場街に変貌していますが、吉原地区を中心とする80近い工場で生産される紙類はおよそ年間370万トン、全国シェアの約12%を占めます。文字通り日本一の「紙の町」です。
富士は日本一の紙どころ
今回の診断依頼者様がこの家を建てたのは、今から約20年前のことです。ご結婚以来社宅暮らしをされていましたが、3人のお子様が成長するに連れて、庭付きの家で育てたいとマイホーム建築を決意されました。
本当のところ、診断依頼者様ご夫妻ともに社宅暮らしにさほど不満があったわけではありませんでした。しかしある日、近所の住宅街を散歩している途中、当時小学生であったご長男が「こんなお家に住みたいね」と呟いた一言がきっかけになったといいます。そのお子様も就職や大学進学のためそれぞれ巣立ち、現在Tさんはご夫人との二人暮らしです。
夫婦で間取り図を何枚も書いて
診断依頼者様が購入した宅地は約60坪で、南が道路に面しています。一般に富士市でも沼津よりの地域は、地盤があまりよくないといわれていますが、T邸のあたりもやや軟弱ぎみのようです。
建物は地元の工務店に依頼されましたが、ほぼ総2階で延べ床面積は40坪に近いものです。「限られた予算の中でできるだけ欲張った」と診断依頼者様は笑いましたが、ご夫婦で何回も間取り図を書き、いろいろ注文をつけて建ててもらった家です。とくに1階居間の南側には庭を広めに取り、たっぷりと光が入るよう大きな開口部を作ったのが自慢でした。
ちょっと危ないのかなと不安が
念願の新居に住み始めて間もなく、診断依頼者様は何となく落ち着かない感じを持つようになります。明るい居間は快適ではあるのですが、当時見て回ったモデルハウスなどに較べるとどことなく見劣りがしたといいます。
当時の診断依頼者様に、それほど家の耐震性について深い知識があったわけではありません。しかし阪神淡路大震災の後に「こんな家が倒壊しやすい」といった解説記事が新聞に掲載されたり、東海地震の襲来が迫っているなどのキャンペーンにたびたび接したりしていれば、地震の知識は蓄積されていきます。それらを考え合わせると、素人考えにも安全な家とは思えませんでした。やはり専門家に一度見てもらう必要がある、とは考えていたそうでした。
そんな折、ご夫人が木耐協の耐震診断告知チラシを見かけ、「とりあえず診断だけ」ということで耐震診断を受診されることとなりました。